著者 Catherine Jewell, WIPO
2019年世界知的財産報告書 - イノベーションの地理:ローカルホットスポット、グローバルネットワークでは、ますます国際化し、協同的になるイノベーションの性質について取り上げています。報告書では、過去数十年にわたるイノベーションの地理的進化を追跡し、イノベーションが少数の国の一部の大規模なクラスターに集中する傾向にあることを明らかにしています。WIPOの首席 エコノミスト、Carsten Finkが、報告書の主な調査結果の一部について考察します。
2011年世界知的財産報告書 では、グローバルなイノベーションを特徴付ける広範囲にわたる地理的推移に焦点を当てましたが、2019年版の報告書では、経済活動はなぜ都心または都市部周辺を中心とする傾向があるのか、そして、経済活動が世界のイノベーションの多くを作り出すグローバル・イノベーション・ネットワークをどのように生み出しているのか調査しています。
エコノミストたちは一般的に、規模の経済や多角化の経済、輸送費用や貯蓄金額に注目することで空間全体における経済活動の分布について解説してきました。企業は都市部に熟練労働者を見つけます。人々は大都市での生活が提供する恩恵や都市部で見つかる高給な仕事に価値を見出し、都市部へと移住します。イノベーターが近接して働いているため、都市はアイデアが繁栄する最も創造力に富む場所になるのです。
しかし、21世紀のイノベーション志向な経済モデルでは、その他の力も作用します。テクノロジー、特にデジタルテクノロジーは、かつてない長距離間における知識の移動をますます助長しています。異なる大学および国からの研究者同士の科学的なコラボレーションには長い歴史があります。また多国籍企業は、異なる場所に研究開発活動を普及するグローバル・バリュー・チェーンを発展させることで、革新的な影響を最適化するよう努めてきました。これらの要因、特に都市集積、研究の普及、そして研究開発が、グローバル・イノベーション・ネットワークを生み出してきました。2019年世界知的財産報告書では、これらネットワークおよびその性質について取り上げています。
この点において、報告書はこれまで取り組んできた中で最も大掛かりなものとなりました。報告書には2つの主要なデータソースが使用されました。まず、168件の特許庁による1970年から2017年にかけての特許データです。特許書類にある豊富な書誌データは、時空を超えた技術的発明を知るための有用なきっかけとなりました。データには、2,200万件を超える発明が記載された約900万件のパテントファミリー(同じ基礎発明に関連する特許のグループ)が含まれていました。これらの書類に記載されていた発明者全員の住所を屋上、郵便番号または準都市のレベルでジオコーディングしました。次に、Web of Scienceのウェブサイトから1998年から2017年にかけての科学論文を分析しました。これらのデータは、6,200万人以上の創作者による2,400万部以上の科学論文で構成されています。また、出版物から入手可能な住所を郵便番号または準都市レベルでジオコーディングしました。
第一に、イノベーションがますます局部的になっていることを確認しました。私たちは、発明者および創作者が最も多く集中する地域を特定するためのアルゴリズムを開発することにより、これを究明しました。私たちはこれらをイノベーションのホットスポットおよび専門的なイノベーション・クラスターという2つのカテゴリーに分けました。
そして、世界で174か所のホットスポット(発明者および創作者が最も密集する地域)を特定しました。例えば、シリコンバレーは最も著名なグローバル・イノベーション・ホットスポットの一つです。また、1つ以上の特許または科学論文でイノベーションの密集度が高い(しかし、イノベーション・ホットスポットより低い)313か所の専門ニッチクラスターを特定しました。スイスのヌーシャテル、ビール、ベルン、フライブルグ地域がそのような専門ニッチクラスターとして特定されています。
これらは、北米、西ヨーロッパ、東アジアに多く集中しています。中国、そして程度は低いですがブラジルおよびインド以外では、中所得経済圏にはほとんどホットスポットがありません。アフリカにはイノベーション・ホットスポットはありませんが、専門ニッチクラスターが複数あります。
全てのホットスポットおよびほとんどのニッチクラスターは、人口が非常に多い大都市圏に集中しています。しかし、常夜灯に関する衛星データと調査結果を重ね合わせたところ、全ての大都市圏がイノベーション・ホットスポットまたはニッチクラスターに人気がある訳ではないことが分かりました。例えば米国では、東海岸および西海岸沿いの密集した都市部に多くのホットスポットを確認しました。しかし、内陸部にある都市部の多くには同じイノベーションの密集が見られませんでした。
解説画像 ページ 世界の共同ホットスポットの上位10位が国際共同発明全体の33パーセントを占めています。
解説画像 ページ 植物バイオテクノロジーイノベーションの影響は、研究所を超えて拡大しています。大都市のホットスポットで創造されたイノベーションはその土地の75倍の利益を生み出すことができます。
非常に重要です。これらホットスポットとクラスターは特許全体の85パーセントおよび科学活動の81パーセントを占めています。つまり、世界のイノベーションの5分の4以上がこれらの地域で生み出されていることになります。特に、グローバル・イノベーション・ホットスポットはグローバル・イノベーションの環境において非常に大きな役割を果たしています。そのほとんどが中国、ドイツ、日本、韓国、米国に集中している大都市ホットスポットの上位30カ所が、特許全体の69パーセントおよび科学活動全体の49パーセントを占めています。
イノベーションはますます共同的になっています。私たちはデータから、何人の発明者および創造者が発明および科学論文にそれぞれ貢献したかを確認しました。一人の発明者または一人の科学的創作者の役割は時間の経過とともに縮小しています。チーム、そして大型化するチームはますます重要になっています。この傾向は、5分の1以上の科学論文が6人以上の著者によって執筆されている科学研究では特に顕著でした。これには多くの理由が考えられますが、技術の複雑化が主な理由の一つです。ますます困難になる問題を解決するためには、より専門的な知識を持つ研究者がより多く必要になります。
国際的なコラボレーションも増加傾向にあります。1999年〜2002年と2011年〜2015年を比較すると、より国際的な共同発明および科学的コラボレーションが確認できます。グローバル・イノベーション・ホットスポットは、国際化の促進に関して非常に大きな役割を果たしています。例えば、シリコンバレー、ニューヨーク、フランクフルト、東京、ボストン、上海、ロンドン、北京、バンガロール、パリは国際的な共同発明の22パーセント占めています。グローバル・イノベーション・ホットスポットおよび専門ニッチクラスターと連動する共同発明の上位10パーセントを見てみると、米国のイノベーション・ネットワークは他の国よりも密集していることが確認できます。
調査結果によれば、多国籍企業はグローバル・イノベーション・ネットワークの中心にあることが分かりました。ある管轄の特許出願人が他国の発明者を記載する、いわゆる国際パテントソーシングの高まりを明らかにした特許資料の分析で証明されているように、多国籍企業は、グローバルな研究開発活動を世界的なバリューチェーンに拡散してきました。1970年代および1980年代では、国際パテントソーシングは主に高所得経済圏の企業と発明者間で行われていましたが、多国籍企業はそれ以降、中所得経済国および特に中国およびインドの発明者を次第に頼りにするようになりました。また、興味深いことに、ブラジルのEmbraerやインドのInfosysなど中所得経済圏の多国籍企業も、米国、西ヨーロッパ、中国の発明者のアイデアにますます頼る傾向にあることが明らかになりました。
報告書では、現在大規模な変化を遂げている2つの産業に関するケーススタディを特集しています。最初のケーススタディでは、自律走行車の出現がその構成および研究開発の地理的位置に関して自動車セクターに及ぼす影響について調査しています。報告書では、自律走行車への技術的移行が、IT企業による従来の自動車製造業者およびその供給業者への挑戦を助長していることが報告されています。しかし、この分野における素晴らしい技術的ダイナミズムにも関わらず、自動車が運転手のサポートなしに基本的に何処へでも走行できる完全自動運転には、何十年ではなくとも、何年もかかると予想されています。
二つ目のケーススタディでは、科学的な大発明が歴史的に応用イノベーションの方向性を形成してきた分野である農業バイオテクノロジーに焦点を当てています。遺伝子編集の費用を削減し、農作物や家畜の遺伝的改良の展開を約束する新しいツールであるCRISPRの可能性を探っています。ケーススタディでは、特に発展途上経済圏において、大学や公的研究機関がイノベーションの主要なソースとして農業バイオテクノロジー環境で果す卓越した役割に注目しています。このセクターでは、コラボレーションもまた重要です。多くのイノベーションが科学セクターで発生していますが、商業化するためには大規模な民間投資が必要です。
調査結果ではまた、種子産業、化学産業、肥料産業に研究開発投資が集中していることが明らかになりました。これは、高額な研究開発費用とトランスジェニック植物の商業化に一部起因しています。現地の条件にこの分野のイノベーションを適用させる必要があるため、農業バイオテクノロジーのクラスターは他のテクノロジー分野の多くに比べ、比較的より広範に及んでいます。イノベーションが密集している農業クラスターは全ての大陸に存在していることが分析により示されました。しかし、高所得区域および中国が作物バイオテクノロジーに関する文献全体の55パーセント以上および特許全体の80%以上をいまだに占めています。
データではグローバル・イノベーションの環境が密接に繋がっていることが明らかになりました。テクノロジーが世界のイノベーション・ホットスポットを繋げる重要な役割を担っている一方で、これらの繋がりが開放性や国際的な協力に好意的な政策環境に依存していることを認識することが重要です。しかし、グローバリゼーションに対する疑念が高まる中、寛容な環境は当たり前に存在するわけではありません。そのため、私たちは、イノベーションを追求するにあたり、開放性を維持することがこれまで以上に重要であると主張します。世界的なテクノロジーの最先端領域を推し進めることがますます難しくなっていることを示す証拠もあります。健康技術、情報技術、輸送技術を含む多くの分野に適応できる技術的進歩をこれまでと同じ水準で達成するためには、より一層の研究開発への取り組みが必要です。
開放性は、イノベーションにおけるさらなる多様性と専門性を促進し、かつてなく複雑な技術的課題を克服するために必要なますます大型化するチームを形成する際に役立ちます。このようなコラボレーションは、知的財産や標準化のような政策に関する政府間の自発的な協力に大きく依存しています。また、開放性により、国家予算を超え、異なる国からの技術的知識を必要とする大規模な科学研究に対する共同資金の拡大が可能になります。欧州原子核研究機構 (the European Organization for Nuclear Research、CERN )または国際宇宙ステーションのようにうまく機能している取り決めの成功例もあります。
開放性を機能させる上でもう一つの重要な要素は、拡大する地域的な国内の所得格差に対応する必要性です。活気あるイノベーション経済により「スタートアップの国」というニックネームがついたイスラエルの例を見てみましょう。イスラエルにおけるイノベーション活動を確認してみると、テルアビブ大都市圏はチャンピオンとして明らかに卓越しています。それは、スタートアップ全体の77パーセントおよびハイテク職全体の60パーセントを占めており、賃金は周辺地区よりも約35パーセント高いことが確認されています。興味深いことに、イスラエルは近年、周辺地区における所得格差に対応する政策を展開しました。この顕著な例では、世界で最も活気のあるホットスポットがイノベーション・ネットワークに取り込まれる一方で、経済全体の利益のためのイノベーション志向の成長を促進する政策が必要であるという事実が強調されています。
WIPOは世界知的財産報告書 を2年に一度出版しています。2011年より開始した本報告書では、以下のとおり異なる知的財産分野における特定の傾向に対する詳細な分析を提供しています。
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