知的財産の活用が中小企業のイノベーションを生む
Frank Tietze氏、英国ケンブリッジ大学工学部知的財産管理 (IIPM) 研究所 (IP Management
先進国か開発途上国かにかかわらず、中小企業 (SME) は経済で大きなシェアを占めています。中小企業はGDPに大きく貢献しており、業界、市場および生活の場面のすべてにおいてイノベーションの重要な源泉となっています。現在の新型コロナウイルス感染症のパンデミック (世界的大流行) において、中小企業は、危機対応に決定的に重要な製品の開発に貢献してきました。その例として、ドイツに本拠を置く中小企業である、ワクチン分野におけるビオンテック (BioNtech) 社と、新型コロナウイルス感染症の治療薬を特定して最近米国食品医薬品局 (FDA、Food and Drug Administration) の承認を取得したBenevolentAI社が挙げられます。中小企業はまた、現在私たちが日常的に使用しているデジタル通信ツールの多くを支えています。
知的財産 (IP) は、特許および商標から意匠権および著作権までの様々な形で、中小企業にとって極めて重要なものです。多くの調査によれば、自身の知的財産に注意を払う企業、特に中小企業は、概してより良い業績を上げています。知的財産は、設立初期ではスタートアップ企業であり、成功すれば大企業となるGazelles (特に野心的で急成長している中小企業) の命運を一変させると言ってよいでしょう。知的財産がどのように影響を及ぼすかを示す例をいくつか挙げます。
調査によれば、自身の知的財産に注意を払う企業、特に中小企業は、概してより良い業績を上げることが分かります。
SwiftKey 社
SwiftKey社は人工知能 (AI) の企業で、ケンブリッジ大学の卒業生たちによって2008年に設立されました。2016年に、当時中小企業だった同社はマイクロソフト社に2億5,000万米ドルで買収されました。もちろん、この巨額の評価には多くの理由がありますが、創業者たちが知的財産に注意を払っていなければ、このような売却を成し遂げられなかったことは想像に難くないと私は考えます。興味深いことに、2013年にSwiftKey社は、知的財産に精通する企業であるボーダフォンとIBMの2社で経験を積んだ、熟練した知的財産管理者であるGareth Jones氏を採用しました。SwiftKey社が当時大きなコストを払って知的財産人材の採用を決断したことに疑問を持つ人もいたようですが、私は、それは本当に賢明な決断だったと考えます。この投資は確かに報われました。Jones氏は、SwiftKey社の知的財産を、多国籍企業が買収対象企業を精査するために実施するデューデリジェンス手続に耐えられるよう管理することを目的として採用されました。この事例を耳にしたときに、私は学生時代にスウェーデンのボルボ・グループのベンチャー部門を訪問したときのことを思い出しました。訪問中に、そのベンチャー部門の当時の責任者は、中小企業が、自身の知的財産を世界の関連市場において保護していることを立証できなければ、その企業の買収に対する興味を即座に失うと話してくれました。ですから、証明することは困難ですが、SwiftKey社は、その知的財産を整備しなくても自社をマイクロソフト社または他の多国籍企業に売却することができたでしょうが、その場合の売却価格は間違いなく実際よりもかなり安くなっていただろうと私は思います。私の推測では、その場合の売却価格は5,000万米ドル程度だったでしょう。それはマイクロソフト社が同社を買収するために支払った額の5分の1です。
Nutriset 社
これは「今はやりの」AIセクターが生んだたった1つの事例にすぎないと思われるかもしれません。では中小企業が知的財産を活用できるもう1つの例を挙げましょう。我々のベルモント・フォーラム (Belmont Forum) が資金支援している「持続的な転換を促進するための知的財産モデル」(Intellectual Property for Accelerating Sustainable Transitions) (IPACST) 調査プロジェクトのために、我々は最近、人道支援セクターで事業を展開するフランス企業である、Nutriset社の最高経営責任者 (CEO) にインタビューを行いました。
この魅力的で使命に燃える企業は、主にアフリカの開発途上国における脆弱な子供および妊婦を中心とするすべての人々に栄養を提供することを目指しています。Nutriset社は明らかに知的財産の力を理解し、それを多くの様々な方法で利用して成功しています。Nutriset社は人道支援用製品を、欧州の生産性の高い自動化された製造工場で生産してそれを開発途上国に輸出することは望みませんでした。むしろ同社は、持続可能な影響を生み、現地での雇用創出と技能育成を可能にすることを目指してビジネスモデルを作り上げました。それを可能にするために、Nutriset社は特許を使って、南の諸国の現地フランチャイズ加盟者を北の先進国の競争相手から保護しました。北の先進国の競争相手は、模造品を大量生産することで、Nutriset社のフランチャイズ加盟者が達成できるコストを下回ることが可能でした。これは、現地の製造能力を構築して、開発途上国において持続可能な影響を生むというNutriset社の使命を妨げる可能性がありました。実際、現在Nutriset社には約20社の競争相手がありますが、そのうち北の先進国の企業は2社のみです。Nutriset社は、その特許を活用して十分な先行期間を確保し、工程に関する知識や登録商標の使用許諾のような、特許によって保護された知的財産と補完的なノウハウを共有するためのフランチャイズ・モデルを構築しました。このモデルによって現地の製造工場が西アフリカに設立され、約400人の恒久的な雇用が創出されました。2020年だけで、Nutriset社の製品は約100万人の子供を支援し、現地の産業に間接的な好影響を及ぼしました。
知的財産を活用することで、経済的な成功と社会に対する好影響の双方に貢献できます。
多くの中小企業が直面する知的財産関連の課題
これらの例は、知的財産を活用することで、経済的な成功と社会に対する好影響の双方に貢献できることを示しています。しかし、多くの中小企業が知的財産関連の課題に直面しています。そもそも、中小企業の経営者は特許取得には費用がかかると理解しているようです。確かに、特許取得には費用がかかりますが、その費用は総合的に把握する必要があります。1つ目として、最近では、一般的に無形資産が企業の中核資産の少なくとも70%を占めているということを念頭に置くことが重要です。2つ目として、統計によれば、10カ国までを対象として、 (最大20年間のうち) ちょうど10年間維持された平均的パテントファミリーの累積総費用は約5万英ポンド (約7万米ドル) です。これらの要因を考慮すると、1つの特定の特許が企業の中核資産を保護するとすれば、発明の所有権を主張するために、上級研究開発 (R&D) エンジニアの年間給与に等しい金額 (その費用は数年にわたって分割) を支払う価値はあるのではないでしょうか。費用は別にしても、中小企業は特許性のある知的財産資産や著作権で保護できる様々な資産を、ソフトウェア・コード、ウェブページ・コンテンツおよびマニュアルや冊子のような他のビジネス資料、社外秘のノウハウ、アルゴリズムおよびデータ、ならびに、非常に多くの場合、商標の形で、生み出しそして保有しています。知識経済時代になってから何年もたつにもかかわらず、今日でも中小企業は、知的財産権とその利用方法に関する一般的な理解を欠いていることが多いのです。
知的財産を生み出しその所有権を主張できることは重要ですが、知的財産権の付与によって、それらが保護する資産の利用方法があらかじめ決定されるものではないことに留意しなければなりません。それは所有者次第です。知的財産権によって、その所有者はそれらを誰がどう利用するかについて決定することができます。次の例え話で説明します。あなたが玄関のない家を持っていると想像してください。玄関がなければ、他人が入ってきて冷蔵庫を勝手に使い、長椅子で映画を楽しみ、あるいはあなたのベッドで仮眠することを防ぐことは難しいですよね。知的財産権はあなたの家に玄関を設置します。それによって、あなたは誰を家に入れるかを決めることができます。あなたが望めば、玄関を閉めたままにして誰も入れないことも可能です。あるいは、オープンハウス方式として友人や家族の訪問を受けることもできます。家の貸し出しサービスのエアビーアンドビー (Airbnb) に家を登録することにして、お金を稼ぐこともできます。玄関がなければ、これらの選択肢を実行することは難しいでしょう。
さらに、中小企業はインターネットで多くの知的財産情報を見つけることができるものの、残念ながら、経営者が一定の経営目標を達成するための戦略的選択肢を探ることに役立つ効果的なツールはほとんど利用することができません。それに加えて、世の中には多くの有能な特許弁護士がいますが、少なくとも多額の資金を費やさなければ、中小企業が真に中立的な助言を得るのは難しいことが多いのです。当大学の工学部のイノベーションおよび知的財産管理研究所における調査の一環として、我々は中小企業とスタートアップ企業のための容易に利用できるツールキットの開発に着手しました。中小企業とスタートアップ企業が大半を占める、20社を超える企業と共同開発した知的財産ロードマップ・ツールはその一例です。それは、中小企業の経営者が、彼らの企業が持つ知的財産の最善の利用に関する系統立てた対話ができるように設計されています。この知的財産ロードマップ・アプローチはワークショップ形式で運営され、4段階のプロセスを通じて参加者を導く視覚テンプレートを活用します。
オープン・イノベーションとの関連において知的財産を管理する
オープン・イノベーション・プロジェクトにおける知的財産管理は、知的財産関連のもう1つの重要な課題を中小企業に投げ掛けます。革新的な製品、サービスおよびソリューションを共同で開発するために、大手多国籍企業や大学などとの共同研究に参加する企業が大きく増えています。実際に、欧州委員会を含む各国政府がオープン・イノベーションを推進しているため、中小企業は、欧州イノベーション・技術機構 (EIT) が資金提供するHorizonコンソーシアムのような、2国間または多国間のオープン・イノベーション・プロジェクトに関与することになるかもしれません。知的財産を構築してそれを活用することは中小企業にとって引き続き容易ではありませんが、オープン・イノベーション・プロジェクトはそれ特有の知的財産関連の課題を伴います。例えば、オープン・イノベーション・プロジェクトに参加する際、中小企業は彼らのパートナーと共同研究協定の交渉を行う必要があります。その相手は大規模な弁護士チームを持つ大手多国籍企業となる場合があります。そのような共同研究に参加する際、中小企業は知的財産のリスク評価を行い、彼らのバックグラウンドIP (もともと彼らが保有する知的財産) の確定と特定を行い、さらに参加パートナーが共同で構築することを目指す第一線のIPを誰が所有するか交渉しなければなりません。
中小企業は、オープン・イノベーションに参加する際に、特定の知的財産関連の課題に対応するための適切な支援が不足しています。
我々が現在進めている欧州委員会のためのPOINT プロジェクトにおいて、私のチームは欧州全土の中小企業にインタビューを行い、中小企業が協力的パートナーシップにおいてイノベーションを起こす際に直面する課題に関する見解をまとめました。このプロジェクトは、ベストプラクティスな介入を特定し、欧州委員会がそれらの課題への対処を支援する際の方法に関する助言の提供を目指しています。暫定的な結果によると、中小企業は、オープン・イノベーションに参加する際に、特定の知的財産関連の課題に対処するための適切な支援を受けていません。使用許諾契約書の定型書式や契約書作成の手引書をオンラインで利用できるようにすることよりも、この点についてより多くの支援を提供することが、次世代の成功する中小企業に到達するために役立つ、より良い投資だと思われます。
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