国家ブランディング: 表面的なシンボルの域を超えて
著者: Patricio T. Murphy氏、シンクタンクの知財スペシャリスト・研究員、Red Argentina de Profesionales para la Política Exterior (Red APPE) 、ブエノスアイレス、アルゼンチン
国の「ブランディング」という考え方は一見シンプルに感じられるかもしれません。一般に国家のブランディングとは、自国の特定のイメージを海外に伝え、何らかの有益な目標を達成しようとする国の戦略を指します。この考え方は、国や都市、地域ができるだけ多くの観光客、投資家、消費者、学生、イベントなどを誘致しようと競い合う「巨大な世界市場」の存在と関連しています。
しかし、国の「ブランディング」は簡単ではありません。まず、国のイメージは、国のブランディング・キャンペーンで取り上げる、クリエイティブなデザインや景観、宣伝される製品やサービスなどの要素をはるかに超えています。意識的か否かにかかわらず、何を伝達するかが、ターゲット層がその国に抱いている一般的な認識と同じくらい重要です。しかし、こうした認識の形成はブランディング戦略ではコントロールできません。 第2に、国の評価は、経済または商業的な魅力だけで決まるものではなく、市民の生活の質を向上させるための対策や、国境を越えた人類の幸福への貢献などの要素が関係します。
国家ブランディング: 変化する概念
国の「ブランディング」という概念の研究分野では、いくつかの新しいアプローチが生まれています。この分野のパイオニアとされているのが、独立した政策アドバイザーのSimon Anholt氏です。1996年にAnholt氏は「国家ブランド」(Nation Brand) という言葉を初めて用い、国の評判は企業や製品のブランド・イメージと同じように機能すると指摘しました。ですから、国のブランドはその国の繁栄、幸福、運営状況と重要な関係があると考えられます。
数年後、Anholt氏は「国家ブランド」の概念が誤って解釈され、歪められていることに気づきました。この概念は、国のイメージ管理は突き詰めれば一連のマーケティング手法である、と解釈されていました。そこで、Anholt氏は「競争的アイデンティティ (Competitive Identity)」という概念を提示しました。これは、国のアイデンティティを改善するために行動や活動が変化する可能性を、国のアイデンティティの評価と結びつけ (その強みと弱みを認識する) モデルです。
「競争的アイデンティティ」の概念では、国のイメージは、ブランディング手法よりも、国のアイデンティティおよび競争の政治経済学と関係が深い、という事実に注目します。「競争的アイデンティティ」の視点では、国のイメージを左右するのは、国が世界に何を発信するかではなく、国のアイデンティティが何を象徴し、国際社会に対して国がどう活動/行動するかです。ただし、ある国が何を「象徴している」かについての国際的な認識は、国が新しいシナリオや環境に戦略的に適応・対応するにつれて徐々に形成されるだろうとAnholt氏は指摘しています。
Anholt氏の基準に従えば、適応するために複合的なアプローチが取られ、さまざまな分野 (経済、政治、法、社会、文化) で対策が講じられます。例えば、革新的な政策や法律の策定と実施、近代的な制度の構築、最新の科学技術の育成、革新的な製品・サービスの提供、良好な投資・事業環境などが含まれる可能性があります。
この議論に関しては、Anholt氏以外からも、いくつかの視点が提示されています。国家ブランディングを、マーケティングと経営の視点からとらえる見方や、国際関係や広報文化外交の観点からとらえる見方があります。実際、これらの視点から、国家ブランディングに関する議論が世界的に広がっています。
一般に国家のブランディングとは、自国の特定のイメージを海外に伝え、何らかの有益な目標を達成しようとする国の戦略を指します。
国のイメージの測定
国のイメージの評価は容易ではありません。世界中のステークホルダーの認識を含め、経済、政治、文化、社会的な多くの要素を検討する必要があります。さらに、外部のステークホルダーの認識は本人の出身地や文化、経験に影響されてしまうため、もともとバイアスがかかっていることで、国のイメージの評価はますます困難になっています。それでも、いくつかの指数とレポートから有益な知見が得られます。その中でもよく知られているものを以下に紹介します。
アンホルト・イプソス国家ブランド指数 (Anholt-Ipsos Nation Brands Index)は2005年に考案され、2008年以降はグローバル市場・社会調査のスペシャリストであるIPSOS社と共同で実施されています。ごく初期に開発されたこの指数は、次の6つの分類に従って国のパフォーマンスをグローバルに評価します。
- 輸出 - 国の製品・サービスの評判
- 観光 - 国を訪れること、および自然・人為的魅力への関心度
- 文化・伝統 - 国家遺産の価値と現代文化 (音楽、芸術、映画、文学、スポーツ) への関心
- ガバナンス - 中央政府の能力・公正さに関する世論、世界的課題への取り組み
- 国民性 - 開放性、友好性、寛容性に関する世界的な評判
- 投資・移住 - 国が企業、移住 (または定住) 者、労働者、学生を誘致する能力、国が提供する生活の質および事業環境
フューチャーブランド国別指数 (FutureBrand Country Index): 2005年から公表されており、世界銀行の発表するGDPの上位75カ国を評価し、以下の2項目について複数の変数を比較分析します。
- 目的 - 国の価値観、生活の質、ビジネスの可能性
- 経験 - 国の伝統と文化、観光、製品・サービス
この指数は、消費者ブランドや企業ブランドを評価するのと同じ方法で、国に対する認識を評価するもので、社会・経済の状況と、投資・貿易・旅行客を誘致できる能力を重視します。2019年版のフューチャーブランド指数では「国造り (Countrymaking)」という概念が導入されました。これは、新技術の影響、気候変動、ジェンダー不平等などの課題が国のパフォーマンスに与える影響をグローバルな視点で測定することを目指す新しい枠組みです。「国造り」は、国が今日の新しい環境にどう対応し、調和を図り、成功を収めるかを視覚化するガイドであるとフューチャーブランド社は指摘しています。
ブランドファイナンス国家ブランドレポート (Brand Finance Nation Brands): 1996年から発行されており、国家ブランドの米ドルベースの経済的価値を測定し、価値向上のための専門家の助言を提供します。ブランドファイナンス社は「ロイヤリティ免除 (Royalty Relief)」方式を用いてランキングを計算しています。この方式では、推定ロイヤリティレートに基づいてブランドの将来の予測収入を推定し、「ブランド価値」を判断します。言い換えると、ブランドオーナーが市場でブランドをライセンシングした場合に得られる経済的利益を推定します。このレポートは、国のイメージが経済全体と国内企業ブランドに及ぼす影響を評価しています。このレポートは、国内投資を促進する能力、製品・サービスを輸出する能力、および旅行者とスキルのある移住者を誘致する能力を示しています。
2020年にブランドファイナンス社は、「グローバル・ソフトパワー指数」を開始しました。この指数は、文化、経済、政治的価値観、科学技術などの分野で、軍事的または経済的手段を用いずに他国に影響を及ぼす能力に基づいて、国のランク付けを行います。「ソフトパワー」とは、自国の価値観、慣習または思想の魅力によって他国を (強制するのではなく) 引き寄せる力を意味し、これは自国の強み、自国の行動、国際社会との関係に左右されます。
良い国指数 (Good Country Index): 2014年にAnholt氏が考案したこの指数は、人類共通の利益に対する国の貢献と、世界共通の利益から享受するメリットに基づいて、GDPとの比較で国をランク付けします。このレポートは、現在人類が直面している重大な課題は、国境を越えたグローバルな課題であるとの理解が必要であることを示すために作成されました。この指数は、国のパフォーマンスを単体で評価するのではなく、国際社会の一員として評価するという点で優れています。「良い国指数」は国連のデータベースを幅広く活用し、科学技術、文化、平和と世界の安全、世界秩序、気候、繁栄、平等などの分野における国の貢献度を測定します。この指数では、「良い (good)」の対義語は「悪い (bad)」ではなく、「利己的 (selfish)」です。
このような指数により、政策決定者は、国のイメージやブランドを綿密かつ詳細に分析するための強力なツールにアクセスできるようになりました。これらのツールは、グローバル市場での国の経済的、商業的魅力を超えて、国内および世界の豊かさに関する分野で国のパフォーマンスと評判を分析します。
WIPO加盟国による国家ブランドの保護への取り組み
WIPO加盟国はWIPO商標法常設委員会 (SCT) を通じて、国家ブランドの保護に関連するさまざまな問題に取り組んでいます。SCTは2020年5月から2021年9月にかけて、国家ブランドがどう定義されているか、およびその保護、認識、所有、管理の基礎となる政策根拠を知るために、加盟国に調査を実施しました。その結果、調査対象の65の加盟国の58%が国家ブランドを構築することを決定しており、さらに9%は構築を計画していました。
国家ブランドを構築する主な理由として、国の認知度向上 (93%)、国の文化、伝統、価値観の推進 (91%)、観光の促進 (91%) という回答がありました。その他の理由としては、輸出の増加 (75%) と投資の誘致 (73%) が挙げられました。調査対象国の80%超が、国家ブランドは通常、公共団体または半官半民の団体を通じて所有していると回答しました。調査結果はSCT/43/8 Rev.2文書で公表されています。 詳しい情報については、SCT事務局までお問い合わせください。
課題への対応と新しい世界の構想
この10年間、人類が直面している共通の課題と機会に対して国際社会の注目が高まっています。2015年、世界の指導者たちは2030アジェンダを採択し、貧困の撲滅、地球環境の保護、イノベーションの推進、世界の繁栄を目指す国連の持続可能な開発目標を定めました。気候変動、ジェンダー平等、移民および難民、原子力、世界の食糧安全保障、イノベーションなど、個別の問題に関する議論や懸念が急速に広がっています。その一部は気候変動に関するパリ協定などの国際合意に結びつきました。
これらの課題には緊急の対策が必要であることを示す証拠があり、新しい世代は世界の繁栄への道を切り開くことによって、こうした課題に取り組んでいます。国のパフォーマンスをグローバルな視点でより効果的に評価するツールが発達し、新しいパラダイムに適応しています。こうしたツールは、国の行動がどのようにして国のイメージを作り出すかを明確に評価します。例えば、こうしたインデックスによる最新の報告書は、世界の重大事象 (新型コロナウイルスのパンデミック、気候変動、第4次産業革命など) に対する国の対応と、それが国の評判に及ぼす影響を示唆しています。多くの国は、新しい世代にとってサステナビリティ、イノベーション、インクルージョンとダイバーシティが重要であることを認識し、こうした重要な課題に取り組むために具体的な措置を講じています。これらの報告書から得られる知見は、これらの取り組みを推進する政策を決定する上で貴重です。
認識の形成に及ぼす標識の力
国家ブランディングは広範囲にわたる複雑な分野であり、マーケティング戦略や国を象徴するグラフィック要素にとどまりません。とはいえ、国家ブランドのグラフィック表現には価値があり、その保護はきわめて重要です。そのようなシンボルは、自国のイメージを伝え、自国の代表的製品・サービスの起源を明らかにするための最も直接的なチャネルです。国のブランディング戦略を構築している国は、こうしたグラフィック要素が暗に価値観や活動/行動を受け入れており、これが国際的なステークホルダーの自国に対する認識と関与を決定することを認識する必要があります。したがって、グラフィックな標識や標章は、観光業、輸出、投資を振興し、熟練労働者を誘致する有効な手段になる可能性があります。
最後に注意していただきたいのが、国家ブランドを合理的に評価するためには、国の規模、経済資源、国内の歴史、世界に対する歴史的役割、文化を無視してはならないという点です。こうした要因要素を認識することで、より正確かつ詳細に国を評価することができます。
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