商標法はAIに追いついているか?
著者 Lee Curtis、Rachel Platts(HGF認定商標弁理士、イギリス、マンチェスター)
人工知能 (AI) は、私たちの生活のあらゆる側面に影響を与える可能性があるとされており、現在、大きな議論の的となっています。ただし、AIに関して報道解説が多く行われており、AIの革命的影響が伝えられている一方で、私たちの生活への短期的な影響は比較的限られています。
アメリカの研究者で未来学者のRoy Amara氏は、「私たちは、テクノロジーの効果を短期的には過大評価し、長期的には過小評価する傾向がある」と指摘しています。
AIが消費者の商品やサービスの購入方法に与える長期的な影響や商標法への連鎖的な影響は、しばしば見過ごされてきました。ほとんどのコメンテーターや評論家は、AIが特許、著作権、意匠法に与える影響に注目する傾向にあります。
製品の購入方法:時間の経過に伴う変化
私たちが製品やサービスを購入する方法は時間が経っても変わっていない、と思われるかもしれませんが、そうではありません。私たちが製品やサービスを購入する方法は、長年にわたって絶えず変化してきました。
商標法の基本理念が策定された19世紀に人々が製品を購入していた方法について考えてみましょう。これは間違いなく、伝統的なヴィクトリア朝の店の風景を連想させます。店の店員が、ガラスのキャビネットに入っている品々の前に立っています。当時、店員は消費者と製品の間に「フィルター」を提供していましたが、これはほとんどブランド化されていませんでした。店員は、販売のプロセスにおいて販売中の製品についての知識を持つ唯一の当事者であり、通常、購入する製品について消費者にアドバイスを提供しました。
消費者が商品やサービスを購入する方法に対するAIの長期的な影響および商標法に対する連鎖的な影響は、しばしば見過ごされてきました。
ヴィクトリア朝様式の商品購入方法は、消費者が単独で決定を下し、消費者と商品の間のフィルター(店員)の恩恵を受けなくなった現代のスーパーマーケットの出現で大きく変化しました。さらに、この状況下では、消費者は店内の商品全てを見られるため、消費者はスーパーマーケットで販売されているすべての商品を知っているか、または知っているようになる可能性がありました。 その後、商品のブランド化が目立つようになり、消費者はブランドの音の響きやその視覚的または概念的な影響という形で、ブランドによる直接的な合図から追加情報を得るようになりました。現代のスーパーマーケットでは、ブランドがヴィクトリア朝時代の店員に効果的に取って代わり、消費者と直接コミュニケーションをとる役割を本質的に担っています。
インターネットが購買習慣をさらに変える
購入プロセスは、インターネットショッピングの導入によって再び変わりました。消費者が購入できる商品は指数関数的に増加し、それに伴い、商品情報と消費者の知識も増加しました。繰り返しになりますが、消費者と商品の間にフィルターはありません。消費者は購入に関する意思決定を完全に自身でコントロールできるようになりました。ソーシャルメディア革命は消費者に新しい形の影響をもたらし、家族や友人の「いいね!」が購入決定の重要な要素になりました。セレブやスポーツのスター選手などの「外部」のインフルエンサーが登場したため、「いいね!」の重要性がますます増えました。
購入プロセスは、消費者が入手できる情報と、誰が、または実際に何が購入の意思決定を行うかによって影響を受けます。AIは、消費者が利用できる情報とその購入の意思決定に影響を与えます。
Amazon Alexa、Google Home、コンシューマーチャットボット、MonaやAmazon DashなどのAIパーソナルショッピングアシスタント、PepperなどのAIロボットアシスタントなど、AIアプリケーションの導入により、購入プロセスの構造は間違いなく再び変化しています。AIアプリケーションの導入は、いくつか重要な違いもあるものの、多くの点において、購入プロセスが古いヴィクトリア朝のモデルに戻ったことを意味しています。
AIが購入決定に与える影響
消費者によるAIアプリケーションの使用はまだ比較的制限されていますが、ほとんどの消費者は、Amazon.comや他のオンライン小売プラットフォームに表示される商品推奨システムなど、何らかの形でAIアプリケーションを利用したことがあるでしょう。この場合、AIアプリケーションは、消費者、商品およびブランド間のフィルターとして効果的に機能し、過去の購買決定に基づいて消費者に独自の推奨を行います。
AIアプリケーションは、商標権侵害訴訟および責任問題において、誰が「平均的な消費者」と見なされるのかについて大きな影響を及ぼします。
多くの消費者は、Amazon AlexaのようなAIアプリケーションに購入の決定を委ねることはしていません。しかし、AIアプリケーション(消費者ではなく)が販売中の商品に関する全ての入手可能な情報にアクセスできる限り、AIアプリケーションはパーソナルショッパーのようなものです。この点では、消費者が購入の決定をAIアプリケーションに完全に委ね、AIアプリケーションが主に消費者の購入履歴に基づいてその意思決定を行うことが可能です。
2019年5月発行のHarvard Business Reviewの記事で、Nicolaj Siggelkow氏 とChristian Terwiesch氏は、そのような商品の提供を「自動実行(Automatic Execution)」モデルと呼んでいます。また、2017年10月に発行された同誌の他の記事で、著者のAjay Agrawal氏、Joshua Gans氏、Avi Goldfarb氏は、自動実行モデルは従来の購入プロセスを「買い物をしてから発送する」モデルから「発送してから買い物する」モデルへと根本的に転換したと言及していました。小売業はもはや消費者の要求に純粋に「対応」するものではなく、AIの時代には、「予測小売」になりました。
予測小売モデルはまだ初期段階にあります。予測小売モデルが真の牽引力を持つためには、ファストファッション業界をすでに悩ませている大規模な返品という経済的問題を回避するために十分に正確でなければなりません。この小売モデルはまた、「販売後の混乱」などの商標法の概念に関して興味深い問題を提起しています。人がブランド製品の購入に関与していない場合、定義上、人は製品の受け取り時点でのみ混乱する可能性があり、販売時点では混乱しません。従来の形態では、販売後の混乱は購入者ではなく第三者に関係していますが、予測小売においては、購入者による販売後の混乱という新しい形態を予期しています。
消費者が購入の決定をAIアプリケーションに委ねていない場合でも、購入する商品の検索が促された場合、Amazon AlexaなどのAIアプリケーションは平均して3つの製品を消費者に推奨するため、AIは消費者が市場、製品、ブランドの見方に影響を与えます。 消費者は市場で入手可能な全ての商品を認識していないため、たとえ最終的に購入することを決定したとしても、購入のために出会う商品のセットは比較的限られています。AIアプリケーションは消費者とブランドの間に再びフィルターを形成します。
では、これは商標法とどのように関係しているのでしょうか?
上記で概説したシナリオは、商標法とその適用に大きな影響を与えます。つまり、商標法は、購入プロセス、製品の購入方法、消費者とブランド間の相互作用に関係しています。
購入プロセスは、消費者が入手できる情報と、誰が、または実際に何が購入の意思決定を行うかによって影響を受けます。AIは、消費者が利用できる情報とその購入の意思決定に影響を与えます。
小売業におけるAIも、比較広告やインフルエンサーに関する規制に関して重要な問題を提起しています。
さらに、商標法は基本的に人間の脆弱性の概念に基づいています。商標法から「人間」と「脆弱性」を取り除いたら、何が残るでしょうか?
商標法の基本的な信条の一部は、「不完全な記憶」、「混乱」、「商標の中傷」、商標の聴覚的、概念的、視覚的影響および比較など、人間の脆弱性の側面に関係しています。商標法のこれらの側面は、スーパーマーケットでの買い物の台頭とともに高まりましたが、商品選択肢の減少、または少なくとも個人の消費者に提示される商品およびブランドの選択肢の減少のために、AIの台頭によって重要性が低下する可能性があります。
AIアプリケーションは、商標権侵害訴訟および責任問題において、誰が「平均的な消費者」と見なされるのかについて大きな影響を及ぼします。AIアプリケーションが人とのやり取りがほとんど又は全くない状態で商品を購入した場合、平均的な消費者とは誰、又は、より重要なこととして何であるのか、商標侵害につながる購入に対して、誰又は何が責任を負うことになるのでしょうか?
AIと商標侵害に関する判例法
AIと商標侵害に関する責任問題を直接扱った事例はありませんが、欧州連合司法裁判所(Court of Justice of the European Union 、CJEU)で過去10年間に取り扱われた数々の訴訟の中には、新しい技術に関するこの質問の答えを明らかにするものがあるかもしれません。
GoogleのAdWordsシステムのキーワード広告とキーワードの自動選択の問題に関連するLouis Vuitton 対 Google Franceの訴訟の判決では、キーワード広告システムに積極的に参加しない限り、Googleは商標侵害の責任を負わないと判断されました。さらに、eBayのオンラインマーケットプレイスでの偽造品の販売に関するL’Oréal 対eBayの訴訟でも同様に、侵害行為を積極的に認識していない限り、eBayは商標侵害の責任を負わないと判断されました。Coty 対Amazonの訴訟でも同様の理論が適用されました。したがって、AIアプリケーションプロバイダーがGoogleおよびeBayの訴訟で概説されているのと同様の適切な削除手順を実施していて、さらに侵害行為に気づかなかった場合、プロバイダーは侵害行為に対する責任を問われることはないように思われます。
ただし、AIプロバイダーが潜在的な侵害行為に関与している場合、プロバイダーが責任を問われる可能性があることが2つの裁判例で示唆されています。英国高等法廷におけるCosmetic Warriors Ltd及びLush Ltd 対 Amazon.co.uk Ltd 及び Amazon EU Sarlの訴訟に関して、Amazonは、商標を使用して、参照されているブランド製品を含まないウェブサイトとのリンクを誘発し、販売されている製品がブランド所有者のものであるかどうかを消費者が確認することができないウェブサイトへのリンクにつなげるという行為に対して、Amazonは商標の侵害の責任を負う、という判決を受けました。さらに、Ortlieb Sportartikel GmbHに関するドイツ連邦裁判所における一連の訴訟では、商品説明への使用や、AIアプリケーションの重要な側面である過去の消費者行動に基づいて、検索用語「Ortlieb」の使用でAmazon.deの広告がトリガーされた場合、Amazonが責任を負うと判断されました。裁判所は、消費者はOrtlieb製品が、そしてOrtlieb製品だけが販売されているという期待のもとで「条件付け」されていたであろうと判断しました。このようなロジックは、検索プロバイダーがAIベースの購入提案と決定の主な推進要因の一つである過去の消費者の購買行動に類似した過去の検索行動に基づいて広告を積極的にトリガーする、いわゆるオンライン商品リスト広告(Product Listing Ads、PLA)にも適用できるのではないか、との憶測をMarkus Rouvinen氏がIP Katブログで述べ、特に注目を集めています。
AIと比較広告:考慮事項
小売業におけるAIも、比較広告やインフルエンサーに関する規制に関して重要な問題を提起しています。定義上、Amazon AlexaなどのAIアプリケーションは「インフルエンサー」です。平均して、Alexaは3つの潜在的な商品を購入することを消費者に推奨しており、それらは、典型的なブランドリーダーで、Amazon独自のブランド及び消費者の過去の購買決定に影響された商品です。 AIアプリケーション自体が購入の決定を委ねられていない場合でも、定義上、その決定に「影響」を及ぼします。 それが事実であると考えられる場合、AIアプリケーションはインフルエンサーマーケティングに関連する規制枠組みによって管理されるべきでしょうか?
このような場合、AIアプリケーションによる商品提案は、ある種の販促活動として明確に識別される必要があります。この問題は、消費者の過去の嗜好に直接関連するものとは対照的に、AIアプリケーションが商品の利益率などのAIプロバイダーに利益をもたらす基準に基づいて製品の推奨を行う場合は、ますます重要になります。
さらに、AIアプリケーションが比較広告に従事するという可能性があります。消費者がAIアプリケーションに商品を要求した場合、アプリケーションが競合のサプライヤーから支払われた料金で「代替」商品を消費者に提案する可能性があります。これにより、キーワード検索用語の入札プロセスで比較広告の問題が発生しているオンラインキーワード広告と比較が可能になります。
音声検索が牽引力を獲得:商標への影響
AIアプリケーションの台頭がもたらす音声検索の可能性は、広告業界でも見過ごされていません。一部の人は、5年以内に商品検索の30〜50%がテキストではなく音声で行われると予測しています。これらの予測は大げさかもしれませんが、消費財市場などの小売市場の特定の分野は、音声検索の影響を大きく受ける可能性があります。
音声検索用語の導入や入札の増加は、テキスト検索に関して発生したものと同じ問題を引き起こすと考えられます。また、音声検索がテキスト検索よりも優先されるため、商標の音声、視覚、概念の比較のバランスが変化します。商標の視覚的側面の重要性は低下し、音声と概念の比較に重点が置かれるようになります。このような変化は、ヴィクトリア朝時代のショッピングモデルがスーパーマーケットのショッピングに取って代わった際に発生した変化と似ています。
さらに、比較広告の問題について最終的には決定していませんが、キーワード広告の訴訟である英国のInterflora 対 Googleの訴訟について、Arnold裁判官は、誤解を招く比較広告に関するEU指令(指令2006.114 / EC)がこの訴訟で取り上げられていないことに驚きを示しました。おそらく、比較広告に関与しているAIアプリケーションに関する訴訟は今後、この問題を正面から扱うことになるかもしれません。
それでは、現状は?
最近のマスコミの関心によって恐れられていたり、又は、期待されていたりするようなAIによる世界に対する短中期の影響はないかもしれませんが、それは確実に訪れます。AIの影響が潜在的に顕著である1つの分野は、商品の購入方法です。これは、定義上、商標法に大きな影響を与えます。Humphrey Bogartがカサブランカの最新版でIngrid Bergmanに言ったように、「AIは商標法を変えるかもしれない。今日ではないかもしれない、明日ではないかもしれない、しかし、すぐにそれは実現するだろう。そして、残りの人生ずっと続くだろう。」
WIPO、知的財産、人工知能
世界中の政策立案者が、人工知能が経済と社会に及ぼす広範な影響を理解し始めると、WIPOとその加盟国は、知的財産業務および知的財産方針に対するその影響という観点から、知的財産特有のAI関連の問題について取り組み始めました。2019年9月に開催された知的財産および人工知能に関するWIPO討議の第一回セッション、および2019年12月から2020年2月まで開催された人工知能および知的財産方針に関するパブリックコンサルテーションに続いて、WIPOは商標法の関連事項を含む知的財産および人工知能に関する改訂版討議報告書を作成しました。これについては、2020年7月7日から9日までの知的財産および人工知能に関するWIPO討議の第二回セッションで議論されます。
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