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ライフサイエンス分野における裁判外での紛争処理

2023年9月

著者: Isha Singh氏、WIPO仲裁調停センター (WIPO Arbitration and Mediation Center)

ライフサイエンス産業は、2022年の時価総額が2兆8300ドルと推定されており、治療薬、ワクチン、診断薬、医療機器など、人々の命を救う医薬品・医療機器を開発する、イノベーティブでダイナミックな産業です。

ライフサイエンス産業は、2022年の時価総額が2兆8300億ドルと推定されています。ダイナミックかつイノベーティブなこの分野では、入り組んだ契約が様々な関係者の間で数多く結ばれており、複雑で高度な技術をめぐる紛争が頻繁に生じています。調停と仲裁は、こうした紛争を処理するための費用対効果の高い手段です。 (写真: K-Kwanchai / iStock / Getty Images Plus)

これらの医療技術が一般の人々の元に届くまでには、多くの取引や提携が、様々な関係者の間で行われます。その際には、複数の、たいていは入り組んだ契約によって支えられ管理されている、ライセンス、共同研究開発 (R&D)、買収などの合意がなされます。

ライフサイエンス分野における取引を決定する戦略の性質上、紛争が頻繁に発生し、紛争は多くの場合、複雑で高度な技術をめぐるものとなります。通常は、規制上の問題のほか、ロイヤリティの支払い、製造物責任、契約上のマイルストーンの不履行などの商業上の請求、営業秘密を含む貴重な知的財産 (知財) に関する紛争が中心となります。こうした紛争は、複数の国で相互に関連し合い、並行して裁判手続が行われることもあります。そのため、多くの場合、高額の費用がかかり、事業への影響が大きく、重要な医療製品の研究開発、臨床試験、製造、商品化の妨げになります。

イノベーションと技術革新は、ライフサイエンスにおけるパートナーシップの大部分で中核をなしており、[中略] この分野は他の分野に比べ紛争が起こりやすくなっています。

こうした中、調停や仲裁のような裁判外の代替的な紛争処理手続は、既存の紛争を処理し、この分野における契約交渉を促進するための、実用的で、時間を節約でき、費用対効果の高い手段となります。

ライフサイエンス分野における紛争の性質

イノベーションと技術革新は、ライフサイエンスにおけるパートナーシップの大部分で中核をなします。このようなダイナミズムは、特にデータ管理、知的財産権保護、製造物責任に関連して、プロジェクトにリスクと不確実性の要素をもたらすことになるため、この分野は他の分野に比べ紛争が起こりやすくなっています。

ライフサイエンス分野で最も一般的な紛争は、実験薬に関する合弁事業の失敗、契約違反、第三者の知的財産権に対する不正使用、製品の発明をどちら側が行ったかをめぐる争いなどです。

紛争は、契約上の問題と契約外の問題の両方に関連することもあります。

契約上の問題に関する紛争

契約上の問題は、主に、例えば製造・サプライチェーンや販売契約など、当事者間の商業上の取り決めに関して生じるものです。このような紛争は、通常、医療技術の薬事承認、納品の約束の不履行、ライセンス製品の販売先などに関するものです。

紛争は、次の事項から生じる可能性もあります。

  • 技術移転やライセンス契約における、ロイヤルティの料率や支払い、ライセンス製品の改良版をめぐる知的財産権、ライセンス製品の特定の使用が契約の範囲に含まれるかどうかなどに関連する事項
  • 合併・買収における、買い手の意思決定に影響を及ぼす可能性のある重要情報の非開示に関する問題など
  • 医薬品共同開発契約における、契約したプロジェクトのスケジュールを守らなかった場合や期待に沿うものではなかった場合の賠償請求

このような紛争は、例えば交渉段階、契約締結時だけでなく、契約の基礎をなす義務の不履行に起因するものにおける運用段階など、事業関係のどの段階においても生じる可能性があります。

契約外の問題

契約外の問題は、主に権利侵害に対する請求に関連するものです。例えば、製薬会社Aが、製薬会社Bの許可なく、製薬会社Bが所有する専有情報を利用して類似または新規の医薬品を製造・販売した場合などです。

ライフサイエンス分野における紛争管理

こうした背景から、ライフサイエンス分野では、次に挙げるような様々な理由により、調停や仲裁が訴訟に代わる有用な手段であると考える関係者が増えています。

  • 手続においてプライバシーと秘密が守られる
  • ライフサイエンスに関する専門知識を有する調停人または仲裁人を選定できる
  • 判断を仰ぐ争点の範囲を絞り込むことができる柔軟性がある
  • 当事者がプロセスを管理できる
  • 紛争を総合的に処理するための国際的かつ中立的な単一の話し合いの場であり、いずれの当事者の国内裁判所も関与しないため、外国の法廷における訴訟対応にかかる高額な費用を回避できる
  • 特に調停では当事者が契約を再交渉できるため、時間がかかる裁判手続に煩わされることなく、現時点での事業ニーズを優先し、当事者間の信頼を回復できる

多くの国の裁判所がこのような利点を認めており、例えば中国の裁判所は、ライフサイエンス分野におけるいくつかの特許・商標侵害事件をWIPO調停に付託しています。最近では、フランスの裁判所も、裁判手続の開始時または途中で調停を試みることを当事者に奨励しています。

ライフサイエンス分野では、調停や仲裁を、訴訟に代わる有用な手段と考える関係者が増えています。 (写真: fizkes / iStock / Getty Images Plus)

ライフサイエンス関係者の間で調停と仲裁の人気が上昇

ライフサイエンス分野における調停や仲裁の人気の高まりは、WIPO仲裁調停センター (以下、「WIPOセンター」) への申立件数に反映されています。同センターが扱う案件の15%近くは、ライフサイエンス分野の当事者が関わっています。これらの紛争の大半は、契約上の請求に関するものです。

ライフサイエンス分野の関係者の多くは紛争処理方針を秘密にすることを好みますが、中には裁判外紛争処理 (ADR) 手続の利用を公表しているところもあります。

例えば、医薬品特許プール (MPP) により締結されたライセンス契約およびサブライセンス契約のうち、70を超える契約にWIPOの調停または仲裁に関する条項が含まれています。これらの契約には、先発医薬品メーカー、ジェネリック医薬品メーカー、ライセンス製品を入手可能な国の公的機関や政府、その他のグローバルヘルス関係者など、25か国以上のライフサイエンス分野の関係者が含まれています。

診断に関するグローバルアライアンス、Foundation for Innovative New Diagnostics (FIND) も、同様のアプローチをとっています。同組織のシニア・リーガル・マネージャーであるMaica Trabanco氏は、調停と仲裁が、信頼できる診断への公平なアクセスを世界中で確保するという同財団の使命を支えるものであると述べています。

「契約を締結する組織として、私たちは非営利組織の文脈におけるグローバルヘルスのニーズに合わせた標準的な商業契約を使用しています」と、同氏は語ります。「私たちの契約は、多くの場合、複雑で、先進国や発展途上国の企業や学術機関、国の公衆衛生機関など、様々な利害関係者が関わっています。私たちの契約のうちWIPOセンターは、裁判所による介入なしに潜在的な紛争を処理し管理するための、国際的かつ中立的な話し合いの場を提供し、当事者がいつ、どこで、どのように紛争を処理するのかについて、より高い確実性を提供します」と、同氏は結論づけています。

取引調停

調停は、既存の紛争を処理するツールとなるだけでなく、長期的な協力関係を望む当事者間の契約交渉を促進することもできます (取引調停: deal mediation)。

例えば、取引交渉の段階で、当事者が提携に踏み切る理由を明確にしてその事業における各当事者のビジネス上の利益や期待を見極めるために、関連分野の専門知識を有する調停人を共同で任命することができます。また、調停人は、交渉中に明らかになった秘密情報の範囲の特定や使用方法の決定に関して当事者に助言し、さらに当事者が正式な契約を締結できるよう支援することもできます。当事者間で紛争が将来生じた場合、その処理の際にまた同じ調停人を選定することもでき、裁判の場合は避けにくい報道リスクを回避できます。

調停は、既存の紛争を処理するツールとなるだけでなく、長期的な協力関係を望む当事者間の契約交渉を促進することもできます。

2022年以来、WIPOセンターは、個々の事情に応じた取引調停を提供しています。取引調停は、WIPO COVID-19 Related Services and Support Package (WIPO COVID-19関連サービスおよび支援パッケージ) の下で、コロナ禍後の経済復興に取り組む国々を支援するために開発されました。WIPOセンターでは、契約交渉を円滑に進めるために調停を利用するケースが急増しており、当事者は、長期にわたる業務関係の中断を最小限に抑えることができます。

取引調停の例

最近のWIPO調停としては、数か国で医薬特許を出願中であるヨーロッパの大学と、製薬会社が関与したものがあります。両当事者は、オプション契約を締結し、製薬会社は、ライセンスを受けるオプションを行使しました。両当事者は、ライセンス契約の交渉を開始しましたが、ライセンス条件について合意できませんでした。3年間に及ぶ交渉に失敗した後、両当事者は、共同でWIPO調停を申立てました。調停人との1回のセッションで、両当事者は、関連する問題と根底にある相互利益を確認することができ、合意に達することができました。

調停後、本件の調停人であるBird and Bird (ロンドン) の知財・ライフサイエンス部門パートナー、Sally Shorthose氏から両当事者の許可を得て話を聞いたところ、同氏は、調停によってライフサイエンス分野の紛争処理にもたらされる他の2つの重要な利点を強調しました。

「調停人の選定について特定の名簿や種類に縛られることはありません。ライセンスに関する経験が豊富な人、ロイヤルティの計算に精通したエコノミストだけでなく、紛争の背後にある科学を本当に理解している科学者や、提携に実際に携わったことがあり、契約における「商業的に合理的な努力 (commercially reasonable efforts)」が実際に何から成るのかを知っている人などであってもかまいません。」

「調停のもう一つの魅力は、紛争処理プロセスの次の段階に進む前に、検討し得る迅速な手続であることです。国際仲裁と比較して、特に3人の仲裁人からなる仲裁廷の任命や仲裁廷への状況説明にかかる費用を考慮すると、安価でもあります。」

最後に

コロナ禍の間に、安全で有効な医療介入やノウハウに対する需要が激増したことを受け、ライフサイエンス分野の関係者は、幅広い新たな協力関係やパートナーシップを通じて、公衆衛生のエコシステムと医薬品サプライチェーンを最適化するための取り組みを強化しています。世界的な保健衛生の課題や、この分野に関連する業務・財務上のリスクに直面する中で、効率的な紛争処理ツールの必要性は切実なものとなっています。

個々の事情に合わせて慎重に作成された紛争処理条項をライフサイエンス分野の取引に組み込むことによって、この分野における紛争を効果的に管理することができます。

こうした状況の中で、個々の事情に合わせて慎重に作成された紛争処理条項をライフサイエンス分野の取引に組み込むことによって、この分野における紛争を効果的に管理することができます。あるいは、既存の契約に事前の合意や紛争処理条項がなくても、ライフサイエンス分野の紛争当事者は、紛争発生後に紛争を裁判外紛争処理 (ADR) に付託する契約を締結することができます。こうすることで、複数の裁判手続を管理しなければならない場合の時間、コスト、リソースを削減することができます。

WIPOセンターは、90を超える法域におけるライフサイエンス分野を専門とする中立者の名簿を活用し、ライフサイエンス分野の契約をめぐる交渉の支援を行っています。WIPOセンターのサービスに関する詳細は、オンラインでご覧いただくことができます。ご質問は、電子メールにてarbiter.mail@wipo.intまでお寄せください。

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